日本人が胸を張って世界に紹介できる偉人:牧野富太郎

2018年11月18日

当たり前ですが、普段それぞれの人が生活する中で疑問に思うことは、それぞれ違います。調べてみると、知名度低いけど、その分野の権威だったりします。
我々、研究者の中では、研究してみて知るその分野の権威、または知り合った研究者の師匠。いろいろな出会いがあります。そんな人たちを紹介していこうと思います。

はじめに

みなさんは、牧野富太郎博士をご存知でしょうか。日本の植物学の父と謳われる人物です。

キーワード:植物分類学、高知、牧野植物園

牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) – 1957年(昭和32年)1月18日)
出身は高知県で、高知県には現在も県立牧野植物園があります(私自身行きたいところトップ5に入る場所でもあります)。およそ100年近く前の研究者です。

何がすごいか?

それは莫大な数の植物学の標本でしょう。その数なんと40万点。そして、なにより注目すべき点は、植物の命名です。100年前、様々な植物がありながら、その分類はあいまいなものでした。牧野博士が命名した植物はなんと2500種類にものぼります。そのうち、600種類が牧野博士の新種発見です。牧野植物園には未だにたくさんの標本が残っています。現在日本にない日本原産の植物の標本がたくさんあるんです。

植物学雑誌の誕生

大学時代に植物学雑誌を自費出版しています。挿絵や図は自分のスケッチからです。この雑誌は今では日本最古、また権威ある書物となっています。

今で言う植物図鑑です。

以前の記事で紹介したJ-stageのページです。

植物学雑誌という偉大な功績を残したのにもかかわらず、一時、上司との人間関係は上手くいっておらず、これらの学術活動が学問なのか?という疑問もまた周りて立ち上がったこともあり、研究室の出入り禁止になり、研究の道が立たれました。

後に大学からすぐ呼び出されますが、学歴がないこと(最終学歴が旧制小学校)、金遣いがあらいこと(お金があったら必要な本に費やすほど、家業のお金もつぎ込むほど)、だらしがないことで(借りた本を返さなかったそうです)、周りからの不満もあったようです。

しかし、この「植物学雑誌」は外国人に頼らず国際的な発表したことで日本人の科学が認められた瞬間でもあります。どんな人物であろうと、これだけの功績は言葉では言い表せないほど素晴らしいことなんです。

最終的には、日本の最高学術機関である日本学士院の会員でもありました。この日本学士院は映画に出てきそうな組織で、日本のブレーンを集めた組織でたくさんの分野があります(化学、物理もそれぞれ細分化、さらに法律などの文系分野もありますよ)。そして、その会員が死ぬまでそのポストがあかないという、スターウォーズの元老院みたいな組織ですね。この中には、ノーベル賞受賞者がたくさんいます。

名言

『雑草という植物はない』でしょうか。確かにそうですね。それぞれ名前があって、進化の過程で環境に適しており、勝ち組なのです。絶滅してったたくさんの植物があるなか勝ち乗ってた植物なのです。

独学で植物分類学を身につけ、素晴らしい功績を持っている。彼こそが科学者の向かうべき道のような気がします。まさに、純粋な科学者です。これほど植物に取りつかれた人物もそういないでしょう。

学際分野、融合分野で鈍化している日本科学界にもこのような人がどんどんでてくるといいですね。

 

2018年11月18日

Posted by xxxchem